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第2話  あなたに、もっと自由に書いてほしい

last update publish date: 2026-10-20 15:25:23

 翌朝。

 深雪は、眠い目をこすりながらスマートフォンを見つめていた。

 昨夜のメール。

 月100万円の愛人契約。

 何度読み返しても、書いてあることは変わらない。

「……夢じゃなかった」

 ため息をつく。

 午前一時まで働いたあとに、こんなメールを受け取るなんて。

 しかも相手は、自分の文章を読んでいるという。

「どういう人なんだろう……」

 深雪はメールをもう一度開いた。

 差出人は「T」。

 本名も、年齢も、職業も分からない。

 ただ、メールには一つだけ具体的な条件が書かれていた。

『月額100万円をお支払いします』

「……100万円」

 思わず口に出す。

 100万円。

 それだけあれば、奨学金の返済もかなり楽になる。

 実家への仕送りだって増やせる。

 今月、シフトを一日減らしてもいい。

 毎日終電近くまで働く必要もなくなる。

 ──でも。

「だからって、愛人は無理でしょ」

 深雪は首を横に振った。

 お金が欲しくないわけではない。

 むしろ、欲しい。

 ものすごく欲しい。

 けれど、お金と引き換えに誰かとの関係を買うことには抵抗があった。

 それに。

「私、そんなに器用じゃないし」

 愛人なんて、できるわけがない。

 相手の機嫌を取って、恋人のふりをして、秘密の関係を続ける。

 想像しただけで胃が痛くなった。

 深雪は返信画面を開く。

『申し訳ありませんが、お断りします』

 入力して。

 送信。

「よし」

 これで終わり。

 そう思った。

 ところが。

 五分後。

 スマートフォンが震えた。

『承知しました』

「……早っ」

 返信が早すぎる。

 深雪は警戒しながら続きを読む。

『ですが、理由を教えていただけませんか?』

「理由?」

 そんなもの決まっている。

 愛人になりたくないから。

 深雪は少し考えてから返信した。

『お金で人間関係を作るのが嫌だからです』

 送信。

 すると、今度は三分ほどで返ってきた。

『あなたらしい回答ですね』

「……は?」

 深雪の眉が寄る。

『どういう意味ですか?』

 返信。

 しばらく待っても、今度は返事が来なかった。

「……何なの?」

 気味が悪い。

 けれど、同時に引っかかる。

 ──あなたらしい。

 まるで、以前から自分を知っているような言い方だった。

 その日の昼。

 深雪はいつものようにCafe Luceで働いていた。

「深雪ちゃん、四番テーブルお願い」

「はい!」

 注文を受け、店内を見回す。

 昼過ぎの店内は比較的空いている。

 窓際の席。

 そこに、見覚えのある男性が座っていた。

 黒いシャツ。

 腕時計。

 整えられた髪。

 派手ではないのに、なぜか目につく。

「あの人……」

 以前にも何度か見たことがある。

 順番待ちの受付表に名前を書くとき、いつも同じ名前を書いていた。

 ──和光わこう。

 深雪は、なんとなく覚えていた。

「和光様、ブレンドコーヒーです」

「ありがとう」

 男性が顔を上げる。

 一瞬だけ、目が合った。

「……!」

 なぜか、深雪の胸がざわついた。

 男性は穏やかに笑った。

「今日も忙しそうですね」

「え?」

「いつも忙しそうだから」

「あ……ありがとうございます?」

 何を言われたのか分からない。

 深雪が首を傾げると、男性は少し慌てたように視線を逸らした。

「……いや、その。大変そうだな、と」

「はあ……」

 変な人。

 深雪はそう思った。

 そして、その夜。

 居酒屋の休憩中、スマートフォンを見ると、また「T」からメールが届いていた。

『先ほどは失礼しました』

『あなたの文章を読んでいると、あなたがどんな人なのか、少しだけ分かる気がしたので』

 深雪は眉をひそめる。

『だから愛人契約を申し込んだんですか?』

 すぐに返事が来た。

『はい』

「…………」

 即答。

 深雪は思わず頭を抱えた。

 すると、続けてもう一通。

『ただし、あなたをお金で買いたいわけではありません』

 その一文を見て、深雪の指が止まった。

『では、何が目的なんですか?』

 送信。

 今度はなかなか返事が来ない。

 一分。

 二分。

 三分。

 そしてようやく届いた返信は──。

『あなたに、もっと自由に文章を書いてほしいからです』

「……え?」

 深雪は画面を見つめた。

 そして、なぜか胸の奥が少しだけ熱くなった。

 けれど。

 その直後。

『そのために、生活費の心配をしなくて済むようにしたい』

『月100万円です』

「……やっぱり愛人契約じゃん!」

 深夜の休憩室に、深雪の声が響いた。

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